小学校6年生の時点で身長が166センチもあった私は、好きな男の子から
"もうちょっと背が低かったら好きになってやってたのにな"とか
"お前のうわばきでっかいな"と言われ傷ついてしゃがんで歩いたり、足が
大きくならないように小さめな靴を履くような女の子でした。クラスではもてなくて、
どちらかというと男子生徒の恋の相談役みたいなことをやっていました。
自分はずっとブスだと思って生きていたので、当然自分のことは
大嫌いでした。
そんな私に、マンションの隣に住んでいた雑誌編集部に勤める
おばさんが、モデルになってみないかと誘ってきました。自分に自信はないし、
モデルなんか自分に出来るわけがないと思っていたのですが、そのお誘いが
きっかけで当時"ジュニー"という雑誌の専属モデルのオーディションを受けることに
なりました。無事二次審査までいったところで学校の修学旅行と重なり、子供の私は
修学旅行を取りました。修学旅行は楽しかったものの,自分が行かなかった
オーディションでグランプリを獲得した子は想像とは全く違った子で、人生で初めて
闘争心というものが私の中で生まれました。
"私もモデルになれる。絶対になろう"と。
それから1年後に当時大流行していたプチセブンの専属モデルの募集が始まり、
席の前の女の子が"一緒に応募して"と言うので歯の矯正中でまだ早い、
もうちょっと待ちたいなあ、これじゃ落ちるだろうなと思いながらも一緒にその友達と
応募しました。よくある話ですが、結局私だけが最終までいって専属モデルに
決まってしまいました。モデル事務所に母と行ったのは14歳になるかならないかの頃でした。
放課後や週末に雑誌の仕事が入るのですが、プチセブン以外の仕事が本格的に
入るようになったのは高校2年生ぐらいの頃からでした。歯の矯正も終わり、
雑誌、広告、ファッションショー、ブライダル、着物と浴衣、カタログ、色々しました。
周りはみんなおねえさんモデルばかりでした。今までテレビでも見たことないような
綺麗な人達がこの世にいるんだな、と純粋に思うぐらい、美しい人ばかりでした。
ただ、本当に腹を割って話せるモデルの友達は一人も出来ませんでした。
考え方が全く違っていたのだと思います。モデルが行くオーディションで私はいつも
一人でした。周りは仲良く話していました。
"仕事でどこどこに行った、誰々と一緒だった、連絡してよ〜"そんな仲良くしていても、
オーディションで受かるのは一人、この人たちは親しそうに話しているけれど
心の中では"みんな落ちて私が受かればいい"と思っているのかと思うと恐ろしくなって、
嫌だなと思うようになりました。
そんなことは日常茶飯事の世界にいるのだから、それが当たり前なのに,
だったら私は一人でいる方がよっぽどいいと思うようになりました。18歳でした。
写真:谷 直恵